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神奈川大学副学長、法学部教授であり吹奏楽部の部長であられる川田昇教授から寄稿をたのまれ下記原稿を送付しましたので参考までにお知らせします。 長文で申し訳ない、、。
神奈川大学創立80周年に寄せて −吹奏学部今昔物語−
神奈川大学吹奏楽部OB会
会長 田原清彦(1973年度貿易科卒)
吹奏学部は現在OB会名誉会長・遠山詠一氏のご努力により創部され、大学側の要請にすぐ対応できるよう創部まもなく大学直属の単独部会として認められました。現在では130名以上を有する日本における大学吹奏楽部の最高峰、また世界でも名だたる学生アマチュア吹奏楽団体と称されるようになり名実ともに大変有名な団体に成長しました。
私が神奈川大学に在籍した1970−1973年は吹奏楽部の存亡の危機に直面していた時代で1969〈昭和45〉年は東大安田講堂占拠など学生運動の嵐が吹き始めた時で神大キャンパスにも立て看板が多く見受けられた頃です。1970(昭和45)年に183日間にわたって開催された大阪万国博覧会により景気浮揚のリズムが刻み始められたものの11月には三島由紀夫事件勃発、そして大学キャンパス内での様々な紛争など外的環境が吹奏楽部にも少なからぬ影響を与えていました。 学内紛争が始まる以前の吹奏楽部は諸先輩の努力により吹奏楽コンクール全国大会出場で2位を獲得するなど神奈川大学の名前をすでに日本全国に広く知らしめていました。当時から部員学生自らが、音楽性の追究、吹奏楽のあり方の研究、自分たちの努力による運営など他校とは一線を画した大変ユニークな活動方針を持っていました。 “うるさいブラスバンド”とはまったく違う交響的な音楽性を求める気風が1970年代以前から育っており、神奈川大学吹奏楽部の英語表記はKanagawa University Symphonic Band(KUSB)と称されその一面をあらわしています。 他大学は当時吹奏楽部をXX大学応援団総部などといった呼称をしていて若干奇異な標記をしていました。 学生運動の嵐が吹き荒れた1970年当時は当部も応援団のイメージを勝手に持たれてしまい、左翼系の学生運動家に部室が焼き討ちにあう可能性があるなど苦労の連続でした。練習の後、部室に楽器を保管するのは危ないと感じ、重要な譜面、そしてティンパニやシロフォンなど値の張る楽器は学校そばに住む部員の四畳半の部屋に毎日持ち込んで避難させていたのもこの頃です。当時神奈川県吹奏楽コンクールの大学の部に出場するのは神奈川大学、防衛大学、関東学院大学、横浜商科大学等々でした。神奈川大学吹奏楽部は、未熟な学生の手で練習・運営していたにもかかわらず県大会、関東大会で1位を獲得することが多く、関東代表として全国大会に出場をするレベルに達していました。残念ながら1969年は学生運動の煽りをうけ部員は一時20名ほどに減少、一時解散の憂き目にあい吹奏楽コンクール関東大会で一位を獲得したにもかかわらずその年の全国大会には無念の出場辞退をせざるを得ない状態となり吹奏楽部の火が消えかけた時です。この辞退事件のあと、これではだめだ、と当時の学生役員・部員有志が立ち上がり、少数で吹奏楽部を再結成した経緯があります。 1969年までは吹奏楽コンクールのランク付けは第一位、第二位といった表彰方式でしたが、私が入学・入部した1970年は金賞、銀賞、銅賞といった現在の表彰方式に変わった初年度の大会でした。このころ部員数は新入生の私たちを入れてようやく30名ほどになりましたが、コンクールの課題曲、自由曲の編成では少人数のため大変苦労をしました。サックス部門は一人でアルト、テナー、ソプラノの楽器の吹きわけをしなければならなかったり、クラリネット部門はファースト一人、セカンド二人、サード二人の小編成、また金管各パートは1−2名のためほとんどソロ状態など、壮大さを表現する音量の部分とハーモニーでは大変大きなハンデを背負っていました。こうした小人数の編成にもかかわらず県大会、関東大会では金賞に輝き、1970年(渋谷公会堂・銀賞)、1971年(大阪フェスティバルホール・銀賞)、1972年(東京普門館・銀賞)、1973年(名古屋市民会館・銀賞)と全国吹奏楽コンクールへの連続出場を4年間はたしました。 1970年代の大学部門は東の駒沢、西の関西学院と言われた時で、両校は早くからプロの指導者、トレーナーをつけ演奏の質・内容では抜きんでていた記憶があります。神奈川大学は進取気鋭の精神が強く、学生だけでどれだけできるか、吹奏楽オリジナル作品の本邦初演へのチャレンジなど、他地区の大学吹奏楽連盟から一風変わった吹奏楽部といった印象を持たれていたようです。 4回連続銀賞受賞はある意味、限界か、と部員一同が自問自答していましたが、今から考えると消えかけたろうそくの火の炎を再燃させ、さあこれからだ、というエポック的なスタート台に無意識に立っていた結果となり、それが今の隆盛につながったと思うと喜ばしい限りです。 1970年代前半・中盤は苦難の時代、そして1970年代後半は、いよいよ新しい時代を築こうという機運が高まったころです。 外部からの指導者やコーチを大々的にお迎えし始めたのが1977年‐1978年で、小澤俊郎先生の徹底的なご指導により課題曲:ジュビラーテ/R.ジェイガー、自由曲:3つの交響的素描「海」より風と海との対話/C.ドビュッシーを演奏して初めての金賞に揮いた1978年は当部にとって歴史的瞬間でした。
大学吹奏楽として全国吹奏楽コンクールで金賞受賞常連校、そして世界レベルまで達している神奈川大学吹奏学部は卒業生全員の誇りです。 いつも順風満帆というわけにはいかないのは世の常ですが、神奈川大学の使命と将来像に沿いそれぞれ専攻する学部学科の就学のかたわら吹奏楽の研究研鑽に今後もより一層励んでいただきたいと思っています。神奈川大学吹奏楽部に栄光あれ!
2009年1月30日
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