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予告編

 投稿者:kei  投稿日:2014年 5月15日(木)14時08分28秒
  「6人のヘラコイさぬき人」
予告編です。http://youtu.be/MlQaau1F2Ok
 
 

写真集「重重」

 投稿者:kei  投稿日:2013年 8月 3日(土)02時41分27秒
  一枚のモノクローム写真がある。
元慰安婦だったおばあさんの写真。顔に深く刻まれた幾筋ものシワ。
それはおばあさんがこれまで生きてこられた人生路を表している。
韓国の写真家 安世鴻がこの世に問いかけてきた写真集「重重」の表紙に私は目を奪われた。ページを繰るのが怖いような衝撃をぶつけてきたからだ。
現中国の各地に今もひっそり生きている元慰安婦のおばあさんたちはこのまま死んでたまるかと問いかけてもいるようだ。
韓国本土、アメリカとこれから世界各地に建立されるであろう少女の慰安婦像にあたふたと”遺憾でごさる””もはや政治決着はついていて当国は無関係”と云い続ける我が国のおエライさん達のツルツルした顔とおばあさんたちの顔を見比べるがいい。
凛とした少女たちがあの深い溝を顔に刻み込んでいった70年という歳月は取り返すことはできない。
20年前、私たちは若き慰安婦たちにさぬきうどんを食べさす舞台を創った。あの少女たちの70年後を舞台に乗せることに最後の闘いを挑むべきではないのか。
一冊の写真集に私ははげしい焦燥感をい抱き始めている。
 

新しいハムレット!

 投稿者:kei  投稿日:2013年 7月16日(火)22時15分0秒
  これが、新しいハムレット?
市民劇場で「ハムレット」を観た。いや休憩で退散したので観たとは云えない。
ただ観ながら、これってさぬきシェークスピアじゃん!と思ったのは自分だけか。
観ながらこれもまた今回の「幕を下ろすな5」のセリフが蘇る
”音楽や照明で客にここが感動シーンですよと煽りたてる”   これほど見事に言い当てたことに我ながら驚いた。まさにその通り音楽ががなり明かりがバチバチ変化して客を引っ張っていくのだ。まあそれはそういう演出だと思えばいいわけだが、辛かったのはセリフが半分いや役者によってはほとんど聞こえないのだ。加齢のせいかホールが出来が悪いのかとにかく聞こえない。そのワケの1つがセリフ廻しにある。もう廃れてしまったと思っていたあのシェークスピア的立て板に水方式がこの舞台では残っていたのだ。
若い頃あこがれてよく真似をしたあのペラペラ息もつかずに喋りまくるあれだ。
演技の基本であるリアクションはちょっとお預けで、順番にペラペラやってくれるんだがこれが聞きとれない。以前に云った高齢者拒否舞台って奴だ。シェークスピアはこうやるんだ、これが聞こえないのはお前の耳がついて来られないんだから、もう来るんじゃないよ。
ただこの舞台は外国人の役者も参加している。かれらの発声は日本の役者みたいに必死こいて怒鳴っていなかった。外人の演出家は日本ではこうやって観客に向かって怒鳴るのが普通なんだと思ったのかな。
時間が経つにつれホールが冷えてくる。頭が痛くなってきてついに退散してしまった。
新しいシェ-クスピアって苦手だな。
 

「愛の取調室」終演

 投稿者:kei  投稿日:2013年 6月24日(月)13時00分11秒
  6月15日に幕開けしたコメディ劇団こめ蔵「愛の取調室」は激しいサヌキ弁が
飛び交うなか、無事に昨日幕を下ろすことができました。
みなさんのご協力に厚く感謝いたします。
ありがとうございました。
 

公演終わりました

 投稿者:kei  投稿日:2013年 6月11日(火)14時59分28秒
  「幕を下ろすな5」は無事に幕を下ろしました。
ご支援、ご協力本当にありがとうございました。
11月には恒例の爆笑劇「妖怪家族」をお目に掛けます。
高松の舞台に始めて吸血鬼の登場です!
ご期待ください。
 

最後の稽古

 投稿者:kei  投稿日:2013年 6月 7日(金)10時49分42秒
  最後の稽古!
これからが勝負だ。ギリギリ押し迫って、やっとこれまでに気づかないことが見えてくる。役者が登場人物になり、それを表し始める。当人は気づかないかもしれないが無機質な台本のセリフが生きた人間の言葉として発せられる瞬間である。稽古はこの瞬間を迎えるために研鑽するのだ。観客がそれに反応し、登場人物は更に昂揚し非日常へとトリップしていく。一度舞台に立つと生涯忘れられない憶いとして脳裏に深く刻まれる。そのためにアスリート達はこれから舞台に踏み出していくのだ。
 

失われた日常

 投稿者:kei  投稿日:2013年 6月 5日(水)23時40分1秒
  ま 様
そうです。あなたにとっての日常はここにあったのです。
それは確かに非日常ではあります。普通人の生活ではとうてい味わえない日々ですが、
あなたの人生にとって掛け替えのない時間になっているはずです。どうかそれを大事に
また挑戦してください。
 

再開

 投稿者:  投稿日:2013年 6月 1日(土)12時37分30秒
  あと9日で板の上に立っているんだなあと、思うと落ち着かないのが正直なところであります。家庭や仕事の都合でと理由らしきものがあったとしても、芝居のない日常はとても味気ないものであったことを、いざ舞台を再開してみるとしみじみ感じてしまいます。ここ数年で自分の中でなにが成長しているかは未知数でありますが、今の自分を精一杯表現できればと思っています。
「これが私の日常だったんだ」と嬉しさを感じながら、本番までの過程を楽しみたいです。
 

おつかれさまです!

 投稿者:kei  投稿日:2013年 5月30日(木)00時29分4秒
  それぞれの人物がくっきりとしてきた。
稽古を重ねセリフが身についてきたのだろう。役者ではない人物が言葉を話し出した。
長い間ひたすらこれを待っていた。公演まで2週間、残り少ない時間が彼らを追い立てるのかもしれない。長い時間を掛け、こうやってひとつの舞台が出来上がる。
誰かが2日半で代わりの舞台を勤めたと喝采を浴びているようだが、本当にパターン演技じゃないオリジナルを創造したのだろうか・・・  それが知りたいものだ。
 

アートがわかる奴!

 投稿者:kei  投稿日:2013年 5月10日(金)10時21分12秒
  「アート」がわからないのは、本人の芸術資本によると仏のブルデューは云う。
芸術資本とは知識、教養、趣味や感性、立ち振る舞いなど、個人の中に蓄積され、身分化したものであり、これは子どもの学力差と似て、親の学歴、職業、年収などと深い関係が有る、つまり親の文化資本の多寡により子どもの文化資本が形成される。
この顕著な例として、美術館の観客についても云うと、観客の4割以上が上級管理職、専門職などのホワイトカラーでブルーカラーは全体の4%でしかなかった。
芸術が身につけるべき教養とされる社会環境に生まれ、日常的にアートに接しているうちに、審美眼や趣味もそれなりに洗練されてくる。現代アートのように高度に抽象化され、た芸術を鑑賞するセンスと能力は、生まれつきというよりは後天的な要素(環境、教育、親の影響)によるところが大きく、階層毎にばらつきがある。=ピエール・ブルデュー

いやな事を言う奴だと思ったがかなり当たっているとおもう。
身近なところで映画を例にとれば、上記のような資本が集中している大都会でロングランをとった作品が地方では閑古鳥が鳴いている。作品と向き合う感性が育っていないというか少ないのだろう。
そして、結果、今回の舞台のテーマである「アートはわからない」になる。
だが万人がわかる基準がある。それは商業的価値だ。アートはわからないが、その作品が高価であれば「良いい作品」となる。これほど分かり易いものはない。そこでアートブローカーが暗躍しますますその価値が高騰し投機の対象となっていき、エセ文化人が鴨にされる。
これで想い出されるのが「ヒロ・ヤマガタ」「クリスチャン・ラッセン」の版画だ。
商店街に臨時ギャラリーを開設して、ワンレグ、ボデコンの姉さんがキャッチに出ては通行人を連れ込んで「すごいアートよ。買っておくと資本価値が上がるわよ」と説き伏せては2000円ほどの印刷版画を何10万と値をつけローンで売りつけていた。
世界的なアーティストの絵が我が家に飾れる!買った人はそう思ったにちがいない。



 

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